からだの不思議な役割り


妊娠したとき、赤ちゃんを「授かった」といいます。

授かったということは、自分でつくったのではなく「頂いた」ということです。

 

私たちのからだは神様からの授かりもの、お借りしているものなのだそうです。

 

頭、腕、足、指、胴体・・・

それぞれに意味をもって神様は人間のからだをお造りなったそうです。

 

その意味を知ることができればきっと今までと違った心でからだを使うことができると思います。



たんでん   いんどう

丹田と印堂

 

「心」はどこにあるのかと尋ねられたら、多くの人は「心臓」と答えるかもしれません。しかし、「心」は**丹田(下丹田)**に宿るとされています。

 

百会から天の力がまっすぐ降りて丹田へと入り、丹田にある「心」と合わさることで、その力は体内を巡ります。そして、巡った力は再び百会から天へと戻され、お返した分再び天から受け取ることができるのだそうです。

 

 

 

この丹田と対をなす(裏表)重要な場所が印堂です。

 

 

 

 

・・霊界へ行くために必要なもの・・

 

 

 人は亡くなったら必ず霊界へ行けるわけではないそうです。それでは、どうすれば霊界へ行けるのでしょうか?

 

 

 

そこには、必要なものがあります。

 

 

 

  • 亡くなった方を送る人の心
    (この世に未練を残さないようにと想ってあげる心も大切)
  • お坊さん、神父さん、宮司さんなど、お役目を持つ人の心
    (戒名を授ける、お経を唱えるなど)

 

 

 

この二つの心が神様に届いたとき、印堂に「光」を入れてもらえるのだそうです。

 

 

 

 

・・印堂に宿る「光」・・

 

 

 

この「光」は、霊界へ行くための通行手形のようなものです。

 

もし光を受け取れなければ、この世とあの世のはざまに留まってしまうのだそうです。

 

 

 霊界へ行った後も、印堂に宿る光は輝き続けます。そして、年忌法要やお盆、お彼岸、お墓参り、仏壇に手を合わせることによって、子孫や故人を想う人々の心が神様に届き新たな光を授けて下さるのだそうです。

 



百 会

立っているとき、1番天に近い場所、頭頂部のほぼ真ん中にある百会は天からの力が入る入り口なのだそうです。

健康な人、病気な人、誰にでも平等にその力が百会から入れてもらえるので生きることができます。

頭のてっぺんに入り口があるのですから落ち込んで下を向いたり、反対に偉そうにふんぞり返っていては、せっかく入れてくれる力がきちんと入っていかなくなってしまいます。

 

どんな時でも、まっすぐ前を向いて進んでいきたいものですね。



中 指

両手を合わせて、腕をまっすぐに空に向けてみてください。

中指は一番長くて一番天に近く、天に直結しています。

 

 

中指は中心。

左手中指は左手の、

右手の中指は右手の中心。

そしてどの指よりも一番力が入ります。

 

 



見る目を肥やし、良い悪い(裏、表)を見極めるために二つあります。

 

「欲」が出るのは目から始まります。

不相応なものを望まないようにまつ毛がついています。

 

・目先の欲に囚われない

・広く、開いた目で見る

・見る目を肥やす

・人格は眼でわかる